トキオ工業の先代社長の名刺には「宮本外喜雄」と書いてありましたので、干支は丑で歳は俺より12上だな、とすぐにわかりました。 なぜなら・・・・ 高専に入ったとき同級生に「外」の文字を使った名前がけっこうおりましたので珍しさに理由を聞いてみました。 その理由たるや、丑年生まれは家に居座ったまま動きたがらないので、次男三男のいらん子は外に出ていけという願いを込めて名前に「外」の文字を使うのだそうです。 (う〜ん当たってる。長男でよかった) 外志郎、外志和、外茂男、外和などなど。はなはだしくはあからさまに「他家志」というのまでいました。 奥能登ではあまり見た覚えはないので加賀地方に特有の風習と思われます。 国内シェア半分はいくのではないか、と豪語したこともある円筒コンベアの作り方を手取り足取り教えてもらったのはトキオの社長でした。 ときたま失敗したときも謝りにいくと 「だんねぇ だんねぇ。」 と笑うだけで、特に叱られるでももなく何度も後始末してもらいました。 バブル以後、不安になったときはどうせ言うに決まっている 「まー、何とかなるやろ。」 の一言をわざわざ聞きに行ったものでした。 トキオの社長は傍目には医療事故としか思えない手術の後遺症で意識不明となり、そのまま帰らぬ人となりました。 葬儀のとき、まだ人が集まる前に祭壇に手を合わせ、にっこり笑っている写真を見上げていましたら、この十余年の出来事が次から次と浮かんでは消えてとうとう大泣きしてしまい、奥さんに逆に慰められるという醜態をさらしてしまったのでした。 |