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鋲打ち


.2004.03.05

昭和30年代の後期、ある程度電気溶接という手法が町場の鉄工所にも普及してきた時期でも鉄骨建築の梁や合掌は鋲(リベット)打ちが普通でした。
リベットは頭が半球で、ネジなしのボルトのような形をしています。
ボルトの場合、ナットを入れて締めますが、リベットは反対側を叩いてもともと付いている丸頭のような形に整形して抜けなくします。
さすがにその頃になると大ハンマーを振るうようなことはなく、リベッターと呼ばれるエアを使った鋲打ち器を使いました。これはおっそろしく大きな騒音を発するためまもなく使われなくなりました。

リベットを打つためにはリベットを焼く人、そのリベットを穴に入れる人、リベットの頭を打つ人、打たれるリベットの反対側でリベットの頭を受ける人、リベットを入れるため材料を上げ下げする重りになる人、の5人は最低必要人数でした。
重りの役目はちょっとわかりづらいかもしれませんが、長い梁などをちょっと浮かせるために重心位置にかませ物をしてぎっこんばったん状態にするわけです。
そしてシーソーのこっち側でリベット打ちをすると反対側に人が乗って上げたり下げたりしました。

リベットを火床で焼く人は横座と呼ばれて親父の指定席でした。
リベットを叩く役は最後に頭の体裁を整える技が必要ですので腕利きが勤めましたが、その他はまあだれでもよく、単なる家事手伝いの私がリベットを受ける役をしたこともあります。
気の短い親父は私が合図するのを待たず自分の間合いでリベットを放るので、「次ぎ!」と声を掛けて親父のほうを見るとほんの目の前までリベットが飛んで来ていることもあり、そんなときは親子喧嘩でした。
ある時など受け損なって長靴の中に真っ赤に焼けたリベットが入ってしまい、そのときの靴の脱ぎ方が速かったこと、自分で感心するくらいでした。やけどもしませんでしたから。

リベットを焼く係もやってみたことはあるのですが、真っ赤に焼けたコークスの中で同じ色に焼けているリベットを見つけるのはとても難しく、もたもたしていると過熱で溶かしてしまってリベットをおしゃかにしてしまうので、早々にあきらめました。
親父はよく川を覗き込み、あそこの苔が食べられている、と教えてくれましたが、私にはまったく見えませんでした。
流れの中の岩を見て鮎が苔を食べた跡を見つけられるような確かな目が必要だったのでしょう。


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自育不利人の たそがれ懐古録