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ギター


.2007.07.01

就職したあと最初に赴任したのは広島支店の整備工場でした。
工場も宿舎も山の中です。
テレビを見る習慣がないので夜はひとりぼっちで何もすることがありません。
ギターでも練習してみるか、と出入りの事務用品商社の平井商事に相談しました。
商社といっても一人でやってる商売です。
ギターのバンドに参加していたこともあるというので渡りに船でした。

最初に買ったのは平井商事の勧めるままにライトゲージのスチール弦を使ったフォークギターでした。
何をやりたいと言う目的はあんまりなかったのですが、アメリカンフォークなんかがイメージとしてはありました。
その割りに最初に弾いたのは「小さな日記」あたりだったと思います。
誰でも最初につまづく F を弾かずに済んだからです。
AmとDmとE7ぐらいなら左手の指が二本あれば何とかなったのです。

東京に転勤して一番先に行ったのがギター教室でした。
カンダの駅前に黒いビルがあって、そこの三階ぐらいにヤマハ音楽教室がありました。
何曜日かは忘れましたが、習い事の常として、一ヶ月四回でした。
変な癖がつく前に習おうと思って、と先生に話したら、もうついているといわれました。(^^;)

教室ではガットギターを使いましたので、一万三千円くらいのガットギターを買いました。
最初の教材は「花はどこへ行った」、次が「ドナドナ」で、ハンマリング・オンを使うとずいぶんうまくなったような気がしたものです。
「パフ」、「風に吹かれて」で習ったツーフィンガー、スリーフィンガー奏法は習得に苦労もしましたが、一生の財産となりました。

最初はやりたい曲をやらせてもらえました。
半年を過ぎた頃、音楽教室の方針が変わりました。
課題曲を与えられて能力検定を受けることになったのです。
あんまりやりたくないのだが、と先生は言い訳していました。
全然知らない曲をやらされることになり、嫌気が差してまもなく教室をやめました。

今思えば練習に目標を与えるための方法だったのでしょう。
あのまま続けていればもっとまともに弾けるようになったかも、と後悔が残っています。

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自育不利人の たそがれ懐古録