小学校五年生ごろからσ(^_^)はラジオ少年になりました。 その頃はすでに世の中はテレビの時代になっていて、誰もラジオなんて聞いていませんでした。 ラジオ少年はラジオを聞きたいためにラジオを作るのではなく、ひたすら半田ごてを振り回し、完成させるのが楽しみなだけです。 しかし、やっぱり自分の作ったラジオには愛着があって、家族がテレビを見ていても一人二階に上がってラジオのスイッチを入れるのでした。 捨てられて川に流れていたような真空管は、どうかすると変なグロー放電光を放ってえもいわれぬ雰囲気を醸し出すのです。 中学生になるかならないかの時期、たまたま聞いたのが夜の八時から放送されていた「9500万人のポピュラーリクエスト」でした。 番組ではキャッシュボックス、ビルボードなどの海外音楽雑誌での人気曲が国内にレコードが発売される前にいち早く放送されました。 黄金の60年代、いまではスタンダードとされる名曲が次から次と湧き出るようにヒットチャートをにぎわせていました。 ビートルズやローリング・ストーンズのデビューを聞いたのがこの番組でした。 ビートルズにはすっかりはまってしまい、新曲が放送されるとレコードが発売されるのを待ち、今町通りの米田時計店に買いに行くのでした。 小遣いで買えるレコードはせいぜい一ヶ月に一枚、それでも姉と二人で買っているといつの間にか数十枚のコレクションになりました。 時は流れて高専の三年生の夏休み、今町通りにあった潰れかけたパチンコ・オリオンへ、店番の俊子を冷やかしに夜な夜な通っておりました。 客はほとんどいなくて、普通のパチンコ屋みたいに派手なBGMも流れておらず、玉が走る音だけがカラカラと人気のない店の中に寂しく響き渡るのでした。 パチンコ玉は手入れをしないので、どうかすると真っ赤に錆びたものまで混ざっていました。(^^;) 妹と二人だけの店番の手間賃もない日が続いていたようで、たまにタバコを切らしたときにもらうことはありましたが、勝ってもそのまま玉を置いてきました。 ある日、話がレコードになって、手持ちのポピュラーレコードを全部貸してやることになりました。 冬休みに帰ってみるとパチンコ屋は潰れており、俊子の姿はありませんでした。 σ(^_^)と姉のレコードを全部持ったまま・・・・・・・・(-_-#) 美人には気をつけましょう。 2016.01.26(火) 訂正 ググっても「百万人のポピュラーリクエスト」はこのページしかヒットせず、9500万人のポピュラーリクエストならたくさんありました。 中身を見てみますと同じ年代で、どうやら9500万人のほうが正しいようです。 よく考えてみると、百万人はほぼ石川県の人口ですから、全国放送と辻褄があっていません。(^^;) |