長男の仁詩が生まれたとき、妻の実家からこいのぼりが贈られてきました。 貰ったからには揚げなければまずいかな、と私は苦にするだけで揚げる気もなかったのですが、親父はどこからかとてつもなく長い竹を貰ってきて、それを欲張った鉄骨の受台を作らせてレッカーで建てました。 ステーのロープがないので大変格好はよかったのですが、吹流しの尻尾が矢車に絡まるとまたレッカーを借りてこなければ倒すこともできませんでした。 |
へんぽんとひるがえるこいのぼり 柱は竹ざお 肩の上は絶対譲らず君臨する長女さやか 背負子で憮然としている長男仁詩 |
これほど手間が掛かるこいのぼりは早いとこ止めたいし、揚げても特に喜ぶ様子もないように見えましたので、仁詩が5つか6つのとき 「もうそろそろこいのぼりは揚げんでもいいやろ?」 と仁詩に尋ねてみました。 すると仁詩は 「そんならねーちゃんのひな祭りもやめー!」 とマジになって怒りましたので、揚げてもらったらそれなりにうれしかったようです。 こいのぼりなどあるわけもなかった私にはわかりませんでした。 月日は流れて次男の拓真が生まれるとこいのぼりも新しくなりました。 事務所を増築するとき、こいのぼりの土台が取り払われてしまったので改めてステンレスの柱を建てることにしました。 根元に固定用の角柱1.7m、次にφ76.3、φ60.5、φ48.6のステンレスパイプをつないで高さ13.7mの巨大な柱になり、新聞にも載りました。 当然建てたり倒したりするのはレッカーが必要でした。 こいのぼりを揚げない季節は祭日ごと、親父は日の丸を揚げていました。 柱が高いので手に入る一番大きな旗だったのですがそれでも小さく見えました。 旗を揚げるときのため、漁師が使うプラスチック製の丸い浮きを一つ買ってきて銀色に塗って先端につけました。 定番の金色でないのはシルバーペイントが鉄工所には普通にある塗料ゆえの手抜き工事です。 その後、1991年9月に上陸した台風19号でφ76.3の部分がぐんにゃりと曲がってしまいましたが、曲がった部分を切り取ると2mほど短くなってしまうので新たにφ89.1のパイプを6m継ぎ足してもっと高くしました。 都合17.7mの自立型こいのぼりはおそらく本邦一の高さではないでしょうか。 こののち矢車に吹流しが絡まるのはずっと悩まされ、とうとう矢車は止めにして、こいのぼり期間中も銀色の玉を使うことにしました。 そしてこいのぼりはぼろぼろになって大谷の鯉々祭りに寄付され、日の丸専用になりました。 親父が死んだのちは日の丸を揚げる者もいなくなり、柱だけぽつねんと無意味に立っています。 |
新聞にも載った 在りし日の二代目柱 13.7m高 | |
台風19号であえなく曲がってしまった柱 こいのぼりシーズンが終わると先っちょは矢車でなく、玉になっている 正面に見えるのは自宅 |
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復活成長した本邦最大(自称)のこいのぼり 吹流しが矢車に絡まるのを恐れてだいぶ下がっている 何のために柱を伸ばしたのやら 絡まったら最後、レッカーが必要なのではこれ以上揚げられないので 将来男の孫が生まれたら電動で倒れるようにしちゃる!! |