子供には鍵が掛かる部屋どころか、個室そのものを与えなかった。 小学校でファミコンを持っていないのはうちの子だけだった。 高校生になっても携帯電話は持たせなかった。 しかし、子供たちが帰ってくると、家にはいつも祖父祖母が待っていた。 父は同じ敷地内の事務所に座っており、ことあればいつでもどこへでも駆けつけることができた。 母は二軒向うの歯科医院で働いていて、いつでも出入り自由だった。 子供たちにはお金で買えるもの以外はみんなあったのだ。 近所に子供が少なくなったことを除けば、 父母が育った黄金の昭和三十年代と同じ子供時代をすごすことができたのだ。 |