今町浜の家並みは一本の路地の両側にありました。 中央埠頭の桟橋から若山川まで細長い集落の真ん中に八木さんの広大な屋敷がありました。 路地の山側には邸宅があり、海側の高い板塀の向うは森のようで、うっそうと茂る木々の中に古びた土蔵が建っていました。 塀の近くには大きなイチョウの木が二本そびえており、枝は路地に張り出して季節になると大量の銀杏の葉っぱと実が路地に降り積もるのでした。 路地はイチョウの巨木の陰になり昼なお薄暗い通りでした。 子供達の間では八木さんの土蔵には狐が住んでいて、通る人を化かすと恐れられておりました。 屋敷は広く、塀はまっすぐ長く、とても息を止めたまま走りすぎることのできる距離ではありません。 古い板塀は所々小さく破れ、中がちらちら見えるので、ますます恐ろしく、全くと言っていいほど人通りがないその寂しい場所を、昼でも子供は怖くて通れませんでした。 そのため同じ町内であるにもかかわらず、八木さんから若山川のほうと桟橋側のほうの子供達は付き合いは全くなく、小学校へ行くまではほとんど面識すらありませんでした。 一年に一度、お祭りのときだけ一緒の燈籠山に乗るのですが、お互い名前も知りませんでした。 今はかって海だった防波堤より外に大きな道路ができました。 防波堤は御用済みで今は跡形もありませんが、若山川のむこう、吾妻町の海岸にはまだ防波堤が残っていますので、それを延長して眺めてみれば大体の位置はわかります。 路地はそのまま残っていますが、八木さんの土蔵のあったところは相続税の物納で国有地になり、それが払い下げられて道下病院が建っています。 |