直線上に配置

石合戦


.2004.11.07

現在の消防署のある場所は当時砂浜でした。
若山川の河口は土砂が堆積して狭くなっているのが常でした。
珪藻土でできているような能登半島ですから貯まっている土砂は珪藻土が変成した柔らかくて扁平なミソ砂利と呼ばれる石でした。
それは白墨のようにコンクリートに絵を描けるくらい柔らかいのでした。
軽くて扁平ですから水切と言って石を水面に何度も反射させて投げる遊びに最適なのでした。
そしてそれは石合戦に使うと当たっても大した怪我にもならないちょうどいい弾薬となりました。

町内ごとの子供が集まるといつも喧嘩しているような荒っぽい時代でした。
ただし、今町と今町浜は家並みが背中合わせで、両方にまたがって建っている家も多く、町名からわかるように親戚のようなもので、子供達も一緒に遊んでいました。
若山川をはさんで橋向かい(吾妻町)となると話は違います。
こからともなく河口で子供が集まってくるとにらみ合いになります。川は渡って来れません。
そして誰かが石を投げると合戦が始まります。
弾はミソ砂利です。軽いのでスピードは出ません。見ていれば避けられるのでした。
しかし弾拾いなどでちょっと目を離すと運が悪ければ石に当たります。
当たり所が悪く頭だと、軽くて柔らかいとは言え石は石、それなりに痛いので当たった子は泣きます。
当てた子は英雄ですが、誰かが泣くと大人が駆けつけて来て怒られますので、そのまえに全員一目散に逃げます。それが終戦でした。

今町浜のほうの護岸は河川改修で立派になり、橋向かいの石積みの突堤はなくなってしまいました。
歴史を刻んだ石合戦の古戦場も今はすでにありません。

直線上に配置


自育不利人の たそがれ懐古録