小学生の頃、私はよく腹痛で早退しました。 保健室の間谷先生が連絡してくれるのかどうかよくわかりませんが、うちで働いていた若手の従業員が一人自転車で迎えに来るのでした。 実は腹痛などないのです。と言ってズル休みでもありません。ただ、ウンコがしたいだけなのです。 当時のトイレは汲み取りで、下を見ると蛆虫が這っているのが見えます。夏場など床の上まで遠征してきて這っています。 青虫毛虫の類はまったく苦手な私はトイレに入るのがいやでした。 それでついつい便秘になり、すると今度はウンコが固くて排便するときに痛い思いをするのでますます我慢するようになるのでした。 我慢の限界を超えたときにやっとトイレに座るのですが、その限界はいつも都合よく家にいるときだけ訪れるわけではありません。 築何十年かわからないような古い、当時の飯田小学校のトイレは汚いをとっくに通り越しておりました。 そればかりか天井に血の足跡がついているというお約束の伝説があり、そんなところには死んでも入りたくなかったのです。 そのため学校でウンコがしたくなると腹が痛いと言って早退させてもらうのです。 ある朝、ほんとに腹が痛くなりました。ウンコのせいでないのは明らかでした。 二階の八畳間を私と姉と弟の三人が寝室に使っていたのですが、そこに私は一人学校を休んで寝ておりました。 何か喉元にこみ上げてくる感覚があり、それを唾と一緒に飲み込んでおりましたが、何度も何度も繰り返すので業を煮やし、口に指を突っ込むと何か手ごたえがあったので、思い切って引っ張ってみました。 意外にもそれはオエッという感覚とともに外に出てきてしまいました。 喉チンコを引っこ抜いてしまった! 最初はそう思って腰が抜けてしまいました。 しかしよく見るとその白くて細長い物体はかすかに動いていました。 あれっ、生きているのか? 私は自分の口の中から回虫をひっぱりだしたのです。 たぶん居場所に困るくらい腹の中にはたくさんいたのでしょう。 そんな不気味なもの、二度と触る気にはなれません。 おそらくは私の悲鳴を聞きつけて二階に上がってきた母か父が窓から庭に捨てました。 二階の窓から見るのもいやなそいつは数日そのまま死体を晒していました。(見てたけど) 当時誰でも落ちているものを気にせず食べていましたし、手を洗うのは顔を洗うときとウンコをしたときぐらいです。 もっと小さい頃なんか浜の砂を誰が一番食べられるか、なんて競争もしましたから腹の中は寄生虫が満載だったと思います。 当時の通知表には必ず検便で引っ掛かった寄生虫の名前が載っていました。 でもその後の人生で、風邪ぐらいしか病気に掛かったことがないのはその時代についた免疫のおかげではないかと思っています。 |