家のすぐ裏は若山川で親父が海釣りに使う小船がいつも係留されていました。 この辺りではハゼをガバチャと呼んでいました。 ガバチャは顔を見るとどう見てもガバチャでした。 ガバチャ釣りにはミミズが必要で、ミミズを掘る場所は町内の松田の台所下が近所の子供の定番でした。 私は親父の魚釣りにはよく付き合わされていましたので、橋向かいの高井の船大工という誰も知らない穴場を知っていました。 松田のミミズが乱獲で少なくなったときはひそかに遠征していました。 (橋向かいとは吾妻町のことで、一説によると差別用語だそうです) ガバチャはから揚げにすると絶品で、海で釣るキスと遜色有りません。 釣るのも食べるのも好きでしたので、小学生の頃は春から秋まで毎朝、学校へ行く前に釣り、学校から帰るとまた釣っておりました。 普通は家のすぐ裏に繋いである親父の船から釣っていましたが、釣果が思わしくないときは少し川上のほうへ移動することもありました。 しかし板谷橋を越えると上流に市立病院があり、肺病のばい菌で汚れていると恐れられており、誰も釣りをするものはいませんでした。 安全圏だと思われていた家の裏あたりでも、たまに痩せたガバチャが釣れると「肺病だ!」と言ってリリースするのでした。 その後自宅は川沿いではありませんが市民病院よりもっと上流に引っ越し、市民病院も移転して跡地は健康センターという正体不明の施設になっています。 余談ですが、今ではミミズを釣針に掛けるどころか気持ちが悪くて触ることもできません。(^^;) |