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町民合唱団


.2005.01.27

広島で二回目の失恋のあと、合唱でも始めようか、と思い立ちました。
学生時代から一度やってみたかったのです。
石川高専の音楽の先生は津幡在住だった石本先生が非常勤で来られていました。
せっかく石川県合唱連盟の会長を務められた先生がおられたのに合唱部結成には至らず心残りでした。
そんな話を工場の前に家がある事務員の木原の奥さんにしたら、西条にも確か合唱団があるとの情報を教えてくれました。

それは木原さんの旦那さんが勤める酒問屋の近くにありました。
植木屋なのに屋上には西条音楽院というでっかい看板が上がっていました。
およそ何曜日の何時ごろに人が集まっているという話は聞いていたので、その頃を見計らっておっかなびっくり訪ねてみました。
これが西条町民合唱団と渡辺健次郎先生との関わり初めです。

へたくそな合唱団でした。
ただし、へただとわかったのはだいぶあとです。
最初は追いつくのに必死でした。すぐに発表会があったからです。
発表会の出し物の中に渡辺先生のソロとバックコーラスというのがあり、練習ではじめて先生の声を聞きました。
いったい何事が起こったのか、と思いました。
声量といい、声の響きといい、私たちと別次元でした。
12,3人の小さな合唱団でしたが、束になっても先生の声には追いつかなかったのです。

「町民合唱の夕べ」や先生のお弟子さんの発表会は農協の三階、いつもそこまでピアノを人力で運びました。
ピアノを上げたり下ろしたりだけが主目的のような合唱団でした。

ずっとあと、田舎に引っ込んでからですが、一度合唱団の同窓会に参加したとき、新宿混声では練習時間の大半を発声に費やしたことを話したことがあります。
先生は
「発声練習ばっかりやってるような合唱団はダメだね。うまいのはプロだけど、アマチュア合唱は心だ。」
と一言の元に切り捨てられました。
発声練習は大切だと思っていた私はちょっと納得がいきませんでした。

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自育不利人の たそがれ懐古録