工場では毎朝八時半の始業前にラジオ体操をしていました。 福永課長は広島に住んでいて朝一には来ませんのでいつも吉富副工場長が先導していました。 体操は八時十五分から始まるのですが、ラジオ体操の音楽で目を覚ますことがしょっちゅうありました。 宿舎の下でみんな拡がって体操をしているので出るに出られません。 始業のベルが鳴ってからこそこそと台所へ行き、桧山のおばちゃんに朝ご飯を出してもらってそのあとタイムカードの時間を手書きしていました。(^^;) それでも誰も叱る人はいませんでしたが、東京へ転勤が決まったときには八時半まで起きない私が東京の通勤に耐えられるはずがない、とみんなに心配されました。 しかし環境が変わればそれなりに適応するもの、転勤になったあとの私は満員電車を嫌って朝6時半には寮を出て、本社に八時十五分頃、一番乗りしていました。 |