私は17、8の頃、隣町の大島田の祭りで悪酔いで吐いて以来酒が嫌いでした。 広島時代住んでいたところは有名な酒どころで、酒蔵の煙突が林立していました。 広島を代表する銘酒賀茂鶴もその一つでした。 しかし飲めない私にとっては猫に小判でした。 ところが工場長代理の吉冨さんが酒好きのうえ、土木会社は電気祭りだの火祭りだのと何かと祭りが多く、そのたびに湯呑みと生の干しスルメで酒を飲むはめになるのでした。 そして飲めない私はそのたび吉冨さんに 「酒も飲めんもんは馘首じゃ!!」 としょっちゅう首を切られていました。 そのうち酒は飲めなくても飲んだふりをして民謡を歌っていると叱られないことに気がつきました それで西条町民合唱団に入るまではもっぱら民謡を練習していたのでした。 |