鳥取でトンネル現場がありました。 たぶん国道9号線ではなかったと思います。 もう作業所の名前は覚えていません。 所長はあとでまた船場作業所でお世話になった内山さんでした。 トンネル現場には削岩機の動力源で必ず大きなコンプレッサー(空気圧縮機)が座っていました。 ここには日立の四気筒の百馬力を一台使っていました。 一台しかないので止まると大変です。 もっと大きな現場では機械担当職員が常駐しますが、経費が掛かりますので一台ぐらいなら出張サービスです。 広島に赴任した翌年の1972年2月27日、故障したという知らせを受けて協力会社の社長、山本さんとすぐに車で走りました。 松江経由で現場まで300kmぐらいあったと思います。 現場に到着したときはもう暗くなっていました。 トンネル現場はどのみち中に入ると真っ暗で、一日中照明をして昼夜兼行の作業です。 明け方になってようやく修理を終えて作業所の休憩室のコタツで仮眠しておりました。 なんだかあたりががやがやとうるさいので目が開きました。 不在だった所長以外の工事主任以下、職員全員が休憩室に詰め掛けてテレビを見ていました。 見ると浅間山荘に鉄球をぶつけている様子が中継されていました。 こっちは夜なべしてコンプレッサーを修理したというのに、誰も仕事をしていませんでした。 コンプレッサーはその後何度か修理に行きましたが、最後はとうとうピストンが焼きついてしまい、廃棄処分になりました。 |